人はいつか死亡します。
必ず起きることですが、意外と目を背け勝ちです。
何故でしょうか?
一つには死と向き合いたくないということがあるでしょう。
もう一つは、残された人が何とかするだろう。という楽観的思考。
筆者は仕事柄、相続の揉め事案件に遭遇します。
財産があれば、奪い合い、負債があれば押し付け合い。
なかなか激しい現場です。
相続される方は、理性的な人間を演じているようで、心のエゴが溢れているのが見えて、非常に興味深い事もあります。
お亡くなりになった方は、さぞかし草葉の陰で悲しんでいる事でしょう。
個人的見解ですが、相続で揉めてしまうのは100%親の責任だと思います。
財産や負債は、残された人がどう分配するかを決めるのではなく、譲り渡す方が決めるのが筋です。
お年玉だって、渡すほうが相手の年齢を見て決めますよね。
子供が結婚する時のお祝いだって、渡す側の親が金額を決めます。
受取り側が金額を決めるなんて聞いたことがありません。
と言っても、例外があります。
それは、おねだりです。
子供の頃、お小遣いをおねだりしたことは誰もがあるでしょう。
大人になっても、家を買うからという理由で資金援助をお願いした人もたくさんいる事でしょう。
ただおねだりであっても、親は、総合的に勘案して贈与する金額を決めます。
長女にはいずれ介護をしてもらう事になるから、少し多めに上げよう。
末っ子は、さんざん手を焼かされたから、お金を上げると堕落するに違いない。
そういった一つ一つの歴史を鑑みて、贈与をするのです。
現代の法律では、法定相続分という摩訶不思議な似非平等のシステムが稼働しています。
介護をする子供もしない子供も、墓守をする子供もしない子供も、全員相続分は一緒です。
やらないもの勝ちの相続システムです。
自分が死んだ後、平等に分けなさい。などと言ってもそれは無理というものです。
であるならば、残す親の方が、分配を決めるべきでしょう。
幸いこの国には遺言制度があります。
自分の意思を残せるのです。
遺言は何回でも書き直すことができます。
現時点での遺産の分配方法を決めることができます。
その際、その分配方法に至った経緯、思いを併記することをお勧めします。
遺産は渡して終わりではなく、親が子供にできる最後の教育です。
何を思い、子供に何を伝えるのか?
自分が死んだ後、子供、孫にどう生活をしてほしいのか?
最後の意思表示です。
終活をすることは、自分自身の気持ちの整理も付くと共に、残された人に迷惑をかけない。という点でも重要です。
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